Home > 自己満足系気まぐれ更新日記 > 日記 > 立ち直れなくなるほど落ち込む前に

自己満足系気まぐれ更新日記

2021/02/12   立ち直れなくなるほど落ち込む前に

今週は仕事が大変忙しかった。
忙しいだけじゃなくて、
理不尽だったり、うまくいかなかったり、
何なのもう・・・!!!
と声を荒らげたくなるような事が続いていたところに、
とどめを刺される出来事が起きてしまって
ついに私はプッツンしてしまい、
悲しいやら、腹立たしいやら、ショックやらで、
やるせなさすぎてボロボロ泣く。


が、そこでひとつ気が付いた。
これ、多分重要な気づきな気がする.
いや多分めっちゃ重要。
なので、忘れないように綴っておく。


キーワードは
「期待」と「できませんという勇気」。


今回起きたことをめっちゃ簡単に言うとね、
これができてない、なんだこの状況は、
みたいな怒られ方したけど、
え?それ言われる人、私なの?
それやるべき人、私じゃないし、
本来やるべき人他にいるの、怒ったアナタも知ってますよね?
みたいなやつ。

何で私がそんなこと言われにゃならんのだ。
本来やるべき人がやらないから
少しでもやっておこうと思ってやったのに、
やったらやったで、それですか。
やるべきなのにやってない人じゃなくて、
代わりにやってみたけど至らなかった私の方が怒られるのか。
何だそれ。
怒りというより正直ショック。

しかも、
「できてない」と怒られた仕事が
もともと私、極端に不得手な種類のやつ。
普通の人はできるんだろうけど、私はダメなのよ。
長年悩んだけど無理なのよ。
「それぐらい何故できないんだ」とか言われると
立ち直れないくらい凹むやつなのよ。
だから今回も例に漏れず、凹んだわ。
ありありと凹んだわ。

・・・という感じ。

1つ目の「なんで私が~」って話だけだったら
そこまでダメージは受けなかったのだが、
ダメ押しが2つ目のあの話だったから、
受けた打撃が大打撃。
この手の話はこれまでにも何度も経験しているが、
ダメだねー。
何度経験しても「もう慣れたわ」とは言えないわ。
いつまで経っても、何度経験しても、
心痛めつけられてしまうやつなんよねー。

そう思いながらブログ遡って調べてみたら、
ちょうど2年前くらいにも

似たようなことで同じくらいダメージ食らったことがあった。
そこには起きた出来事は書いてないけど、
自分では覚えてるわ。
なのになんでまた同じ目に合うのかなー、私。

同じ歴史は何故繰り返すのかしらー。
立ち直った時に、受けた仕打ちも忘れちゃってるのかなー。
立ち直りが早いのも考えもんだわねー。
ははー。

■致命的欠点が日常を。
http://www.mimuroid.com/blog/posts/archives/186
 

 


・・・でだ。


また同じことを繰り返すのは嫌なので、
私は考えた。
何がそこまで泣くほどショックだったのか、やるせなかったのか、
自分の中で今一度、
冷静に、できるだけ客観的に、整理した。

で、1つの答えに行き着いた。


これ、
悪いのは「期待」だわ。


ヒントは Twitter で見た作家・辻仁成の言葉。
フォローしているので日常的にツイートを見るのだが、
この人、
ちょくちょく「人には期待しない」という言葉を使う。

 

 

 

 

 


自分の精神が比較的健康な時は、
「ふーん、寂しい考え方だな・・・」とか思って
流し見する程度だったのだけど、
今ふとその言葉を思い出してみて、
「あ」と思う。

期待ってさ、
「誰々が〇〇してくれるだろう」ってやつだけじゃないのよね。

ここまてやってるのに
なんでそんなこと言われなきゃいけないのよ?
とか、
こう言われたからこうしたのに、
なんでそんな扱い受けなきゃならんわけ?
とか。


それもさー、期待なんだよねー。


言い換えるとね、
今回の私、泣くほど強くそう思ったってことは、
こう言ってもらいたい、
こう評価してほしい、
そういう思いがあったってことなんだと思うのよ。

たとえば、
本来これをやるのはあなたじゃなくて彼なんだけどね、
とか、
何とかしようとしてくれてのは分かったけどね、
とか、
代わりにここまではやってくれたんだね、
とか、
なんかそういうやつ。

でも、正反対の言葉が降ってきたから
怒りとショックでうわぁぁぁー!!みたいな。

ってことはよ。
そんな期待、最初からしなけりゃ良かった、
ってことなのよ。

そう言うと、
誰にも何も期待しない世捨て人みたいに聞こえるかもだが、
そうじゃない。
苦手だけど苦手なりに頑張った。
その結果に対して「何でできてないんだ」ともし言われたら、
立ち直れないくらい凹むだろうなー
・・・って事前に予想がつくことは、
最初からやらない方が良いのよ。
もしくは、
ちょっとやってみた、って程度のところで
一旦立ち止まって考えてみるのよ。

やめた方が良いか、このまま続けて頑張ってみるのか。
続けて頑張ってみたときに、
「これじゃダメだね」って言われたとして、
「ああもっと頑張ろう」とか
「だったらもうやめた方がいいかも」とかって、
冷静に考えられる話なのか。
それとも、
「うっわ・・・!!それ私の琴線なんだけど!!
それ言われたら私、終わりなんだけどぉぉ・・・!!」
みたいになっちゃう話なのか。

そうすれば、
受ける傷は比較的浅くて済む。
でも今回の私はそれをせずに、

「うっわ、それ私の琴線~!」の方のパターンだったのに
「出来ないなりに頑張ったね」って言葉を期待した、
だから私の負けなのよ。
その言葉を貰えなければ「マジかよ・・・!!」ってショック受けちゃうぐらいの所まで、
一旦自分でやっちゃった、受け持っちゃった、
「よかれと思って」だろうが、
「気を利かせて」だろうが何だろうが、
そこまで進めてはしまった時点で、私の負けなのよ。

 

そうなる前に、考えるべきだったのよ。

誰かに「頑張ったね」って言ってもらうためにやってることなのか、

それとは関係なく、自分が必要だと思うからやってることなのか。

今回の私に必要だったのはさ、

「●●さんがやらないから私がやる」っていう頑張りじゃなくて、
その仕事、私が超絶苦手なやつでは?って察知するための努力。

半端に仕事してかえって迷惑かけない?

しかも「できてない」って言われて超ダメージ受けない??

大丈夫?って、一生懸命考える。

そっちの頑張りだったのよね。
そっちに労力使うべきだったのよね。



そこまで考えが行き着いたら、すごく気が晴れた。
あー、これだ。これだったわーぁぁ。



基本的に人は、
100% こちらの期待通りには動かない。
100% 期待通りににはこちらを評価しない。
それ自体は、
悲しいことでも何でもないのよ。
当たり前のことなのよ。
だって 100% 私のために生きてる人なんていないんだから。
そんな人いたら奴隷だから。笑
それに、
こちらの心中だって 100% 分かる人なんていないんだから。
他人だもん、100% 分かったら気持ち悪いわ。笑


夢中で何かに取り組んだり
何かの使命感を(勝手に)感じていたりすると、
そういうことは忘れがちになる。
でも、
まずはそこを、忘れない方がいい。


そこを踏まえたうえで、
たとえそうだとしても、
・・・期待通りの評価も言葉もなく、
こちらの期待する動きも取ってもらえなかっとしても、
私は必要だと思ってる、やった方がいいと思ってる、
だから私はたとえ認められなくても、
それをやったことを後悔しない。

そう言える仕事は、やれば良い。

頑張ったけどできなかった。
悔しいけど今後のためになった。
「一旦できるところまでやりきったんだから」ってセリフで
自分を納得させるくらいはできる。

そう言える仕事も、やれば良い。

やってもできないことは目に見えてる。
でも、
結果が至らなくても頑張ったことは評価してほしい。
そこが評価されなかったら私は立ち直れない。

そこまで思うような仕事は、
軽い気持ちで受けちゃダメなのだ。

 

私はできないけど、誰かできる人がやるべき。

そう表明するのが筋。

それでもやらなきゃいけない羽目になったら、

「やってみるけどダメかもしれない」って、
キッチリ宣言してからやるぐらいじゃないと。
デカいダメージ受ける前に、
引き返せるところで立ち止まらないと。

じゃないと、傷つくのは自分。
仕事が中途半端になって迷惑するのは周り。
誰も幸せにならない。
だから、
その仕事を受けないのは怠慢じゃないのよ。
ただの適材適所なの。
上手くいかない可能性が高い仕事を
誰にも言わずに受け取って自滅したら、
「頑張ったね」って言われるどころか罪になるのよ。

 


そうなのよ。(念押し)

 


変に真面目なところがある人はね、
「でもできないなりに頑張らなきゃ」とか、
「気を利かせなきゃ」とか、
「本当は自分ができなきゃいけないんだ」とか、
「あの言い方、お前がやれって意味だ」とか、
結構真剣に思っちゃうんだけどさ、
そりゃー、違うんだよね。

一般的にそうだとしても、私は無理!!

・・・ってことが本当に分かるのは、
自分しかいないのよ。

その自分が自分に耳を傾けなかったら、
もう誰もいなくなっちゃうのよ。

外から誰かがうまく察してくれるなんて、
絶対ないとは言わないけど、
あったらラッキーぐらいの事なのよ。

 

だから、
「これは大丈夫?いける?」って自分に自分で問うことは、
ホンッ・・・トに大事なことなのよ。

 

 

そんなわけで話をまとめると

今回の私がやったことは、

やれと言われたことや指示を拡大解釈した結果、

勝手に気を利かせたつもりになって

誰に言われたわけでもない仕事、

それも「なんでできないの」って言われたら超傷つく仕事に手を出し、自滅。

突き詰めればそういうことだった、

ってわけね。

 

あー!アホらし!!何やってんだか!!

自分を救えるのは、最後は自分しかいないのにねー!!
お人好しで自滅するなんてバカのやることよ。
努力はいつだって、自分のために。
人として健全なのは、
そういう姿だと思うわ。うん。


あー、ようやくスッキリ立ち直れた。
でもこれ、後で読み返したら、
うっわw

長いw 重いw なかなかに気持ち悪いww

・・・って、思うんだろうなぁー。
だがしかし、
そう思ったならその時は
自分が精神衛生的な健康を取り戻したってことだから、
それでいいのである。

 

早く「キモイw」って、思えるようになりなさいよ、私。

(もうほぼなってる。)



ちなみに、
「自分のために生きなくては」
「誰のための人生なんだ」
というフレーズもまた、
先ほどの辻仁成氏がよく使う言葉です。


良い気付きをもらえるって素敵よね。
他人の言葉は鵜呑みじゃなくて気づきですね。
それを自分の中で咀嚼して、
「なるほど」と腑に落ちて初めて、
自分のものになるんだもんねー。

良き気付きを今日も、ありがとうございます。

 

 

 

【本日の教訓】

誰にどう評価されても「自分が必要だからやった」と納得する仕事はやれ。

それ以外の仕事は、一度躊躇(ためら)え。

 

 

 

最後に、

私のポリシーとものすごく近い、

辻仁成氏のツイート、貼っておく。

すごく近いのに、

この中の「疑わない代わりに期待もしない」が、

私の中からは抜けてたなー。

ゼロじゃなかったが重要視してなかったなー。

この機会にメモメモ。

 

 

 

 

日記 
 |  Blog Top ≫