今日、Twitter でちょっと興味深い炎上案件を目にした。
炎上した案件というか問題というか、
それそのものも興味深かったんだが、
個人的に、何故炎上したかと、どう炎上したか・・・というか、
その件についてコメントし合う人々同士の話がどう拗れたかにおいて、
興味深いなー、なるほどなー、
と思うことがあったので、ちょっとメモ。
炎上したのは「南港ストリートピアノ」。
何が起きたか、何が問題だったかをざっくりと。
めちゃくちゃ端折って言うと、事の発端は運営側の発言。
ピアノには「ご自由に演奏してください♪」
というメッセージが添えられていたのだが、
これに対し、運営側が、
練習は家でして下さい、練習を重ねてつっかえずに弾けるようになってから、ここで弾いてください、
という趣旨のコメントをしたことが、炎上のきっかけ。
一見するとよくありそうな話だが、
今回の場合、更に話をややこしくする要素がいくつかオプションで付いていた。
そのややこしさの一因が、「ストリートピアノ」というワード。
まず、本来の(一般的に言う)「ストリートピアノ」は、
以下のような特徴がある模様。
- プロ・アマ・初心者問わず、誰でも自由に弾いて良い。
- 「演奏」と呼べるものですらなくて良い
(子供が無造作にジャンジャン鳴らすとかも OK) - 人が行き交う場所、「聴きたい人は立ち止まれば良いし、そうでない人はそのまま通り過ぎれば良い」が成立する場所に置かれる
- ピアノの音量は、ある程度周囲の音に馴染むぐらいがベスト
意外と知られてないかもなのが下2つじゃないか、って気がする。
少なくとも私は初めて知った。
といっても、「そうだったの!?」と驚きを伴う感じじゃなくて、
「あ、なるほどそうなんだ」という納得がある感じ。
ストリートピアノをこの目でまともに見たことない私としては、
「誰でも自由に」がコンセプトな以上、
騒音紛いの素人演奏も拒否できないことになるけど、
いかにも問題起きそうだな・・・
と思ったりもしてたのだが、
なるほど、
本来人が「行き交う」場所にあって、
演奏が気になったら「わざわざ」足を止めて聴いたらよろし。
そういうスタンスだったら、
そんなに問題起きることもないのかもな、と思った。
故に、雑踏に紛れ込むぐらいの音量で、
近くにいる(足を止めた)人にさえ届けば良いぐらいの音量だとベスト、と。
なるほどなるほど。
だから「ストリート」って付いてるんだね~。
ちゃんと文化として成立していることにも、理解、納得。
でも、ここが今回の問題において、ちょっとややこしかった。
これを踏まえて、「南港ストリートピアノ」がどうだったかというと、
まず、置かれている場所がフードコート(小さめサイズ)の一角に設置されたステージの上だった。
そこにいる人の大半は、
フードコートでご飯を食べたりくつろぐ目的で「滞在している」人なので、
「人が行き交う」場所とはちょっと違う。
「聴きたい人は立ち止まれば良いし、そうでない人は通り過ぎれば良い」は、
成立するとは言い難い。
聴きたくなければその場から立ち去る、というのは、できるっちゃできるけど、
それ、本来の目的の食事とかくつろぎを諦めるって前提付きだからね。
ここでまず、
「これはストリートピアノとは言えないですよね?」
の問題が勃発するわけです。
これは、
「ここに自由に弾けるピアノを置くべきか否か?」
とは話が別。
この時点でもう、話は2つあるわけ。
「素人がピアノを弾いて良いかどうかは店が決める話。嫌なら店に来なければいい」とかいう論争と、
「素人お断りなのに『ストリートピアノ』とはいかがなもんか?」とかいう論争とが、
同時に存在している状態。
そして、ここから先がまた厄介。
「ここに自由に弾けるピアノを置くべきか否か?」においても、
争点がいくつか存在した。
まずこのピアノ、爆音だったそうだ。笑
というのも、
置いてある場所は天井が低く、スペースもさほど大きくないという、
ただでさえ音が響きやすい構造。
そこに、大きなコンサートホール向けのパワフルなグランドピアノを設置、
しかも、グランドピアノの蓋はフルオープン。
結果的に、"周囲の雑踏に紛れる" どころの音量ではなかったらしい。
こりゃー、演奏が上手い下手とか以前の問題ですね。
加えて、ここから先は今回の件特有の問題ではなく、
「自由に弾ける」をコンセプトにしている以上、
発生しがちだなーって感じのやつ。
- 1人で長時間占有している人がいて迷惑(並んでる人もいるのに)
- 明らかに演奏ではなく、長時間練習してる人がいて、聴くに堪えない。
このへんは、マナーだったりルールだったり、、、という話になってくるので、
きちんと整備、運営すれば改善できる範囲だったと思う。
だがしかし。
これに対する運営側の対応がマズかった。
非常にマズかった。
多分、これが今回の最大の問題点。
こういうケースに対する適切で無難な言い方は、
「長時間の占有はご遠慮ください」
「練習目的での利用はお控えください」
とかで済ませるパターンだと思う。
ところが、運営が出したコメント(Twitter)はこれ。
※原文ママ
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こんな掲示はしたくなかった、、というのが正直な気持ちです、、
「練習は家でしてください」
こんなこと書かなきゃいけないなんて想定外でした。
間違うのはしょーがないんです、、生身だから(苦笑する顔文字)
でも、人の練習聞かされる側はたまったもんじゃないんです。
----- 以下、ポスター画像内文章 -------
ストリートピアノ演奏者の方へ
【お願いです】練習は家でしてください。
この南港ストリートピアノはフードコートの中にあります。つっかえてばかりの演奏に多くのクレームが入っており、このままだとこのピアノを撤収せざるを得ない状況です。
練習は家でして下さい。練習を重ねてつっかえずに弾けるようになってから、ここで発表して頂けたら幸いです。
誰かに届いてこそ「音楽」です。手前よがりな演奏は「苦音」です。
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めっちゃ煽り文章。笑
まぁ、気持ちは分かるよ、、、と思う部分もあるんだけど、
それを上回る量のツッコミどころ。
全体的に上から目線、被害者目線なのがもう、
炎上路線まっしぐらって感じだし、
言葉選びや言い回しが、人の神経を逆撫でする要素満載で、
案の定、Twitter には批判コメントがじゃんじゃんと。
こういう「ご自由に」をコンセプトにした企画、取り組みには、
マナーを守らない人は、必ずいる。
絶対いる。
そこをどうするかが運営側のお仕事だと思うけど、
ちょっとこれは、
完全にそこの責任放棄した挙句、被害者面で演奏者側に責任転嫁、
って感じに見られても仕方ない気がする。
以前からの思いが募りまくって爆発しちゃったのかもしれないが、
だとしても、それをそのまま感情的に言ってしまったら、
運営としてはアウトな気はするよねぇ。
そして、ここまで強く言われてしまうと、
「何様?」的な思いは湧いてくるし、
それが更に発展して、
「そこまでハッキリ弾き手に線引き・要求するなら、きちんと金払ってプロ雇うべきでは?」
という意見も出てくる。
なんだ、上手い人だけが弾いてほしいけどギャラ無しってか?
ずいぶん都合よくない?ってな具合。
更にオマケ的要素になるが、
この投稿とはまた別の、運営イケてない問題もあった。
子供がピアノを触っていただけで、
凄い剣幕でスタッフに怒鳴られた、という方が複数人。
別に、いたずらしてたとか壊したとかじゃないし、
子供は弾いちゃダメってルールもなかったようなのに。
仮にそういうのがあったとしても、
いきなり怒鳴るのはいかがなものか・・・。
そんなわけで、この件には、
結構多数の問題・争点があったことになる。
① 「ストリートピアノ」の看板に偽りあり
② 場所・シチュエーションに対して音量デカすぎ
③ 長時間占有しちゃう人問題
④ 明らかに練習目的で利用する人問題
⑤ そもそも、上手い人しか弾いちゃいけないのか論争
⑥ 公式の注意喚起の「言い方」がヤバい
⑦ そこまで言うならプロ雇うべきでは論争
⑧ 子供を怒鳴りつけるスタッフヤバい
いやー、問題も争点もいっぱいだね!!
というのもひとつ注目どころではあるが、
ここで私が思った・注目したのが、
Twitter でこの件に言及する人たちのやりとり。
これだけ問題・争点が多いと、論点のズレが多発するのだ。
例えば、① の問題について論じている人に、
⑤ の観点で切り込んでくる人とか。
①② みたいな、今回の件特有の問題に対して、
「ストリートピアノ」そのものに対する批判と受け止めて怒る人とか。
なんかもう、あちこちで議論や批判がぐっちゃぐちゃ。笑
論点・争点が多いというのは、
それだけで事態を拗らせるなぁ~というのを、
わかりやすく目の当たりにした感じだった。
こういうのって、勿論、ビジネスでも言えることで。
私自身にも最近、
論点の整理ができていなくて話が拗れたな・・・ってことが、
今思えばあった気がする。
その件も、今回の南港ストリートピアノの件もそうだけど、
問題や争点は沢山あるにしても、
だいたいは関連している。
でも、関連しているが、別の話ではある。
ここを混同してしまうというか、
この話し合いで論じたいのはどの範囲なのかがぼやけるというか、
そういう話は、ちょいちょいある。
でも、そこをキッチリ線引きしておかないと、
こうやって、いらぬ論争に発展するのよねー。
例えば今回で言うと、
「この会議では『南港ストリートピアノ』は今後どうすべきかを議論します」
となった場合。
まず、議論のゴールを共有できてるかどうかが大事よね。
撤去すべきか否かを議論したいのか。
それとも、ルールを整備して存続の方向で議論したいのか。
はたまた、そのどちらも範疇に入れて、ブレスト的に議論したいのか。
まずそこを共有しておかないと、
「ルールを考えるんだと思って話してたのに、何よ、撤去する方向なの?」
とかなっちゃったりする。
あとは、前提条件的な意識合わせね。
今回のピアノは飲食店内にあるから、『聴きたくなければ去れ』は通用しないと思った方が良い。
なので、演奏レベルは一定以上が求められて然り。
ここまではどう?皆さんいかが?
まずここで一旦区切ると、
じゃあ、どうやって弾き手を募ろうか?
プロ雇う?それとも、ある程度ルールは敷きつつ弾き手に任せてみる?
・・・みたいに話を進めていけるけど、
これがないと、
「プロ雇うか、もしくは・・・」
「いや、そもそも聴きたくない人は来なきゃいいんだから、弾き手のレベル関係ないし!!」
とかなっちゃったりする。
なっちゃったりしてた。(回顧)
こういうことがあるから、
Twitter のクソリプ合戦を見つめる事って、
あながち無駄でもないんだよなー、と思う。笑
だいたい、
はたから見たらクソリプに見える発言も、
発言者にはそれを言う大義名分とか主張したい思想とかが元々あって、
それに従って真面目に議論してるだけの場合もある。
(多少の感情は入っちゃったにしても。)
この、「発言者にはそれを言う大義名分とか主張したい思想とかがある」って状況、
ビジネスシーンだと、多分にある。
ビジネスマンにはだいたい、”立場” ってやつがあるからね。
立場があれば、それに伴って、
譲りたくないものとか、果たしたい目的とかが生じてくるものだから、
議論の方向がそれに引きずられがちになる。
「まって、そんな話するつもりじゃなかった」ってことも起きうる。
そう考えると、
Twitter のクソリプ合戦は、案外、対岸の火事ではないし、
やりとりが参考になるわー、って場面も結構ある。
例えば、
論点がズレてきた時に、「ズレてますね」って言うとか、
その時に、相手のせいにせずあくまで「ズレてるみたいです(気づきました)」みたいに言うとか。
全然ダメだ、平行線だわ、って時は、議論やめるとか。笑
なるほど、こういう言い方、返し方があるんだな~
なんて思うやりとりもちょこちょこあった。
まぁ、ビジネスシーンでは
「これ以上話しても無駄。ブロックしまーす」ってわけにはいかないので、
「仕切り直して出直しましょ」に置き換わると思うし、
論破したいわけじゃなく、話をまとめたいケースがほとんどだから、
そのまま使えるやり取りは少ないけどさ。
でもそれだって、
言うタイミングとか、切り込むポイントとかは、
わりと参考になる部分もちらほらと。
・・・だからなんか、
読みふけってしまったんだろうな~。
なーんていうのは、半分本当だけど、半分は言い訳。
無駄に Twitter 見て時間を消費してしまったな、、、ということに対する、言い訳。
いや、自己正当化か。
・・・いや、でも、半分は本当だからーー!!!!
本当だからぁぁーーー!!!!
