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PIERROT と ピエラーと IT 屋

私という、ピエラーなシステムエンジニアができるまで。
私の職業はシステムエンジニアである。
休日出勤、深夜残業、徹夜が当たり前だった若手時代を経て、
今ではそこそこ出世もできた。
仕事ぶりに関しては、そんじょそこらの男どもには負けない自信があるが、
その分ちょっとワーカーホリックが抜けきれてないのが難点。

そんな、わかりやすく仕事人間な私が今ここにあるのは、
大袈裟かつ乱暴に言えば PIERROT がきっかけであり、
ピエラー人生が長く続いた理由は、私がこの職を選んだからである。


話は PIERROT がデビューした 90年代後半までさかのぼる。
この頃はちょうど、インターネットの幕開け時代。
ADSL が普及したことで、一般家庭もパソコンを続々購入。
そのパソコンでやることのひとつとして、
ホームページ、つまり Web サイト開設が
当時たいへん流行っていた。

多かったのは、自分の趣味についてのサイトや、好きな芸能人、アーティストのファンサイト。
特にこの「ファンサイト」はかなりの数が乱立していて、
さらにその中でも V系バンドのファンサイトは多かった。
きっと、
「好きなバンドを広めるために情報を発信したい」とか
「周りにそのバンドを好きな友達がいないのでネット上で好きなバンドについて語り合いたい」とか
「一緒にライブに行ってくれる友達を探したい」とか、
何かといろんな目的において、需要が高かったんだと思う。
今はその手段が SNS だというだけで、動機や使い方はそれと全く同じ。
PIERROT も典型的にこのパターンで、
私がピエラーになった時にはすでに、大量の PIERROT ファンサイトが世の中に存在していた。
我が家もこの時期にパソコンを購入したクチだったので、
私も連日インターネット遊び。
毎日 PIERROT のオフィシャルサイトを覗いたり、
「PIERROT」でキーワード検索して、気に入ったファンサイトをブックマークしたり、
掲示板に書き込みしたり。(大概のサイトには掲示板があった)

Web サイトは基本的に1から手作りなので、
作る人によって内容もクオリティも様々。
手作り感満載のローテクサイトもあれば、
プロ並みにカッコよくてセンスフルなサイトもある。
情報量も、雀の涙程度のものから辞典並みのものまで本当に色々。
そんな中からお気に入りのサイトを探すのは、宝探し的な楽しさ。
見てるだけでも楽しいのだが、
「私が作るとしたら・・・」と想像を巡らせながら見るのはさらに楽しい。
最初は見ているだけだったのが、
そのうち「私もいつか Web サイトを開設したいなぁー」と思うようになり、
徐々にサイト作りに興味を持ち始める。

元々私はテーマに沿ってモノを作るのが好きな性分で、
ノートや日記に何かを書き溜めるのが大好き。
受験の時は、教科別に違うノートでオリジナルの参考書を作っちゃうようなこだわり屋の子供でもあったので、
この Web サイト遊びにはどハマりだった。

Web サイトは見た目も大事だが、
やっぱり見ていて面白いのは情報量が多いサイト。
それも、リリース情報やニュースなどのオフィシャル情報ではなく、
管理人による曲紹介とかライブレポートみたいな自作コンテンツ。
自分もサイトを作るとしたらそういうのが充実したサイトにしたいなー、
と思いながら、
いつ開設するともしれない PIERROT サイトのためにネタを書き溜めたりしていたが、
ネタだけ溜め込んで終わるはずもなく、
最終的には小遣いで買った
「メモ帳さえあればできる!はじめてのホームページ」みたいな実用書をめくりながら
PIERROT サイトを作り始めることに。

ブログも SNS もなければ、無料ホームページ作成サービスなんてものも皆無に等しかったこの時代。
平成生まれの人には信じられないだろうが、
当時、インターネットで何か情報を発信するとしたら Web サイトだったし、
Web サイト作成の主な手段といったら
メモ帳で HTML をシコシコ書くのが主流だった。
「ホームページビルダー」という有名ソフトも出回っていたが、
決して安くはないので私には買えなかったし、
サイト作りの how to サイトも今ほどない。
Tips 的な小技紹介はあったが、
右も左も分からない私のようなド素人には、それをどうやって使うかも分からないので、
結局本を見ながら制作開始。
まるで宿題のドリルをこなす要領で、
まずは真っ白なページに「私のホームページにようこそ!」だけが表示されるようなところから始め、
次は文字をでかくしたり、壁紙をつけたり、画像を置いたり・・・。

これが実に地道な作業の連続。
とにかく何をするにも「HTML タグ」という
記号と英字の組み合わせをいちいち書かなきゃいけない。
ブラウザのタイトルバーに文字を出すにも、

<title>PIERROT ファンサイト「mimuroid」</title>

ちょっと文字の色を変えるにも、

<span style="color:#45ABAB;">ほげほげ。ここは緑色の字だよ。</span>

といった調子。
しかも、1文字間違っただけであっという間にデザイン崩壊。
でもメモ帳なんて文字を書く機能しかないから、
どこにミスがあるか教えてくれない。
どこをどう直せばいいのか分からなくて、小一時間悩むこともしばしば。

ここまで読んだ人の多くが抱く感想は、
きっと「うわー、面倒くせ!」だと思う。
実際なかなか面倒くさい。骨が折れる。
でもね、頑張ってタグをごちゃごちゃ書いてブラウザに写し、
思いどおりに仕上がっていたときは大変嬉しいものなのです。

いちいち HTML を書くということは完全オーダーメイドなわけなので、
タグ書きさえ慣れれば、細部に至るまで自由自在。
ブログデザインによくあるような、
テンプレと有りもの素材の組み合わせでできた似たりよったりなページとは
全くもってわけが違うのである。
こだわり屋で細かい作業が比較的苦にならない人には逆に楽しいくらい。
次はこの部分をこんなふうに、、、とか、
ここは、あのサイトみたいにかっこよくしたいけどどうやって作るのかなー、とか、
作るうちにどんどん欲が出てきて、
そのたびにまた新しい知識を入手する。
なるほど、ここをこうするとこんな仕上がりになるのね!っていう発見なんかも、
知的好奇心が刺激されて実に楽しい。

そんなこんなで、気づいたら
PIERROT サイトを作るための HTML というより、
HTML を操って何かを作ることそのものにすっかり夢中になっていた。

これが、デジタル分野における、私の初めてのモノづくり体験。


最初は楽しくても、そのうち飽きてくるのかな・・・なんて思っていたが、
これが意外と長かった。
HTML の次は CSS や JavaScript ・・・というように、
使える技術もだんだん増える。
次はこれ、その次はこれ、というように、少しずつサイトが進化を始めると、
これはこれで楽しくて、また作業に没頭する。
その結果、
「デジタルなモノづくりをもっとやってみたい」
「HTML だけじゃなく、他のプログラミングもやってみたい」となり、
遂にシステムエンジニアを職に選んでしまうのである。


HTML などのサイトを作る「手段」と PIERROT についてのあれやこれやのような「コンテンツ」とは、
実に切っても切れない関係にある。
例えば新しいコンテンツを思いつき、
それが今までと違った見た目や表現だとなれば、
当然それを実現するために新しい知識を取り入れる。
でも、逆もある。
新しい技術やテクニックを知ると、
「これを私のサイトのあそこに使ったらカッコイイかも!」とか、
「これを使ってこんなコンテンツを作ったら楽しそう!」とかなるのだ。

特に、仕事を始めてからはこの傾向が強まった。
私が「IT 系の会社に就職しただだのド素人」から「一応プログラマー(見習いだけど)」ぐらいになった時、
すでに PIERROT は解散していて何年か経っていた。
ぶっちゃけて言うと、この頃の私は PIERROT のことなどすっかり忘れていて、
当然このサイトのことも存在すら意識の外。
それを、
仕事で HTML を多用する機会があったのをきっかけに
「そういえば私、Web サイト持ってたよな」と唐突に思い出し、
昔書いたソースコード(HTML だの CSS だのの総称)を見てびっくり。


何じゃあぁぁこの、きったねぇソースコードは!!!


実は Web サイトというものは、
同じような見た目でもソースコードの書き方は人それぞれ。
時代(というか使う技術)によってもそれぞれ。
汚いコードもあれば、綺麗でスッキリしたコードもあり、
その差は歴然。まるで違う。
イメージで言えば、料理みたいなもの。
似たような味、似たような見た目の料理でも、
台所をとっ散らかしながら長い時間かかって要領悪く作る人もいるし、
最新の便利グッズなんかも駆使しながら、手際よくチャチャッと作る人もいる。
この違いを思い浮かべるとわかりやすい。

しかも、技術というのは廃れるし流行もあるので、
数年も経てば
「今どきそんなコード使わねぇよ!」みたいな状況が
わりと当たり前に起きたりする。
もちろん、古い書き方のコードでも問題ないことも多いのだが、
そこはプログラマーの性みたいなもので、
「カッコ悪い!」とか、
「こないだ覚えたこの方法で書き換えたい!」とか、
ほとんど自己満足のような気持ちが芽生えることが多いのです。

私もその例に漏れることなく
過去の自分が書いた恐ろしく汚いソースコードを放っておけず、
そこからサイトの再構築が始まった。

当たり前だが、ソースコードを書き直すということは、
その過程でコンテンツそのものを見直すことにもなる。
昔書いた文章を読んで、「うわぁひでぇ文章!生き恥さらし!!」とか思って書き直したり、
記載ミスや間違った情報に気づいては、「やっべ!直さなきゃ!!」となったり。
それをやりながら、
「あれ?これってそもそも何だっけ?」となって調べ物も始まり、
その延長で、
「調べ物してて気づいたけどこの DVD 持ってないじゃん」
みたいなことも始まって、
今度は Amazon やヤフオクを徘徊し始める。

PIERROT が現役だった頃の大半を、貧乏学生として過ごした私。
社会人になってある程度のお金を手にしていたその時、
昔との違いは凄かった。
「今年はライブ2回も行っちゃったし新譜も出たから、ライブ DVD どうしようかな、、、うーん、、、今回はいいか。。。」
みたいな感じだった昔に比べ、
社会人になってみたら、
「あれ、この DVD 持ってないけどどんなんだろ。どれどれ Amazon ・・・お、在庫ある。ポチ(3秒)」
みたいな変わりよう。
ものすごい勢いで PIERROT なあれこれをかき集めているうちに、
いつしかサイトの再構築の趣旨は
ソースコード直しから PIERROT ネタの再収集に変わり、
気がついた頃には
「PIERROT、、、楽しかった、、、なんで解散したんだ、、、寂しい。。」
という状態。
結果的に、自業自得なセルフプロデュースにより、
何年も PIERROT を忘れていた人間が
一気にピエロスに陥ってしまったのであります。


結局その後も、
「そのうち落ち着いてロスも癒えるだろう」なんていう予想とは裏腹に、
そんな気配は全くなし。
ひと通り悶々としたあとその気持ちを持て余した私は、
PIERROT 解散後の各バンド(Angelo、ALvino、LM.C)やキリトソロの音源や動画を、
おそるおそるチェックし始める。
最終的に、「ええい!こうなったらとことんじゃ!!」と勢いづいて
たった一人で ALvino ライブにまで足を運んでしまった。

初めての ALvino ライブは予想以上に楽しくて
また行ってもいいかもな、、、なんて思ったし、
あまりにも近くで潤を見られて半端なく興奮もしたのだが、
それでロスが癒えたかというとそうでもない。
どちらかと言えば、気持ちにひとつ折り合いがついたという感じ。
きちんと前に進んでいるメンバーを見て納得にも似た気持ちを持ったし、
自分の中に免疫みたいなものもできて、
「うぅぅ PIERROT ちゃぁぁぁん(涙」みたいな感じだった今までから
「寂しいけど PIERROT っていいバンドだったよね・・・」みたいに、
逆にフラットな気持ちで PIERROT に向き合えるようになった。
なので、
これをきっかけに ALvino に通う事態には発展せず、
一番 PIERROT に近いであろう Angelo のライブにも足を運ばなかった。

以降、私はゆるゆるなピエラーとしての人生を再開させ、
それが今まで続いている。

周りの友人は、再結成時に「ピエラー」というより
「出戻りピエラー」という表現の方がハマっていた程度に PIERROT からは離れていて、
たまに笑いの要素がない(ここ重要)普通の PIERROT ネタを振っても
恐ろしく反応が鈍い。
(類は友を呼ぶので、私の友人はみな正直である。)
なのでそれからというもの、
私の相手をしてくれるのはもっぱらこのサイト。
時たま曲を聴いたり映像を見たら感想はこのサイトに垂れ流すし、
更新履歴にこそ載せていないが、
たまにサイトを見直しては、ちょこちょこ文章を直したり。
その一方で、
相変わらず仕事で手に入れた知識を、ひっそりとこのサイトに活かしたり。
仕事ではだんだん管理者的立場になっていったせいで
プログラミングの機会が減りはじめ、
意外とその欲求不満を晴らすいい場所にもなってたりする。
やっぱり私は何かを作るのが好きなんだ。
挙句、PIERROT 解散からウン年も経っているのに新コンテンツが立ち上がったりもしていて、
よく考えたら、やっていることは PIERROT 現役当時とそう大きく変わっていない。


そんなわけで、
私は PIERROT がきっかけで IT に興味を持ち、
IT がきっかけでピエロスを再発症し、
IT のおかげで今も穏やかな(笑)ピエラー人生を送っているし、
このサイトのおかげで IT 屋としての欲求の一部も満たされている。

ピエラーであり、IT 屋。
それが現在の私の姿だが、
仮にもしどちらかの肩書きを手放していたとしたら、
なんとなくだが、
もう片方の肩書きも手放すことになっていたような気がしてならない。

ついでに、そうやって IT 屋としての欲求を満たすことで
仕事に対する自信とプライドが生まれ、
少々行き過ぎて社畜になってしまった。
でももう社畜は卒業するわ。
私だって今を生きるのよ。


余談だが、ピエロスを再発した時、
その矛先を向けたのが Angelo ではなく ALvino だったあたり、
私は腐ってもジャーだなと思わずにはいられない。
潤のツイートをチェックするためだけに Twitter アカウントを作り、
潤をフォローしたらフォローバックされて死ぬほど驚いたり、
ライブ参加の予習で買った CD の特典 DVD でドキマギしたり。
それをツイートするときミスって潤にメンションしてしまい、
しかも潤からリプライがあって叫びそうになったり。
色々あったが、今振り返っても非常に懐かしくいい思い出。 語り部屋トップへもどる。